お城に行って英語を学ぼう(宮城・仙台城 & 瑞鳳殿)

日本を学べる英語の表現

奥州の覇者、伊達政宗の城として有名な仙台城に行ってまいりました。

仙台は古くは多賀城と言って平安時代より蝦夷に相対する朝廷の機関として国府が置かれていた土地で、東北のなかでも京都との関連性の強い土地です。

仙台といえば「伊達政宗!」と勝手に思っていましたが、付近には古い歴史

が多くあり、散策する価値があるところです。

とはいえ伊達家関連の見どころも多くあり、一日で堪能するには時間足りません。

さて肝心の仙台城ですが、残念ながら築城当時の遺構のほとんどは火災や戦災で消滅しています。

とはいうものの、さすが伊達家の城というだけあって城跡の規模自体は非常に大きいです。

天守自体は築城当時から存在せず、断崖に清水の舞台のような懸けづくりで作られた御殿がありました。

その御殿のあった本丸から見下ろすと、竜の口渓谷(Tatsunokuchi Gorge)があり、川と断崖による堅固な守りがうかがえます。

石垣も非常に巨大で、小高い丘を中心にして積まれているので、坂を上る疲労感とあわせてこちらに覆いかぶさるような圧迫感があります。

現在、本丸には宮城県護国神社があり、併設の資料館では明治から第二次世界大戦の軍属の方たちが残された資料を拝見することができます。  

また二の丸は東北大学のキャンパス、そして三の丸が仙台市博物館になっています。

築城当時の建物は残っていないものの石垣などを見てまわるだけでも、城の規模そのものはとてつもなく大きいとわかります。

さすが日本100名城にふさわしい城といえると思います。

「独眼竜」は伊達ではない

伊達政宗は後世に独眼竜(the One-eyed Dragon)の異名で知られたように、圧倒的なスピードで勢力を拡大していきます。

伊達政宗は他の戦国大名(Sengoku warlords)たちよりも、やや遅れて歴史に登場したにもかかわらず、猛追をかける勢いたるや、正に「竜が昇るが如く」と表現するに不足はありません。

10代後半で家督を継いだ時点では、伊達の勢力は30万石ほどです。

そこから数年のうちに110万石を超えるところに到達し、一気に並み居る戦国大名に肩を並べるまでに駆け上がります。

もちろん弱小勢力で挟撃にあったところからスタートしている徳川や毛利、真田に比べれば、比較的恵まれていたかもしれません。

「上杉、武田、北条の三つ巴に巻き込まれる」「戦国最強の一角、島津軍を常に警戒しなければならない」「比叡山や本願寺に悩まされる」という状況ではなかったにせよ、最上や上杉と相対したことを考えると圧倒的なスピードです。

このあと豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻める際に服従する必要に迫られ、今後、豊臣から徳川へと天下が移るなかで、政宗の勢力拡大はいったんストップします。

その後、政宗は徳川家の重要な支援者として徳川家の天下統一を支えます。

家康や秀忠の亡き後、徳川家光が将軍になるときには、戦国を生きた武将はほとんどが亡くなっていましたが、政宗は存命でした。

百戦錬磨の政宗が若い家光を将軍として支えたことで、徳川家の支配は盤石になります。

家光もそんな政宗を慕っていたようで、ことあるごとに政宗の武勇伝を聞きたがったそうです。

政宗は野望の部分がどうしても強調されますが、あえて徳川家の支持にまわったことで、天下がより早く収まったように思えます。

政宗はほかの有力大名よりも若く、健康にも気を使っていたので、一発逆転の戦いを仕掛けようと思えば、できなくはなかったでしょう。

事実、徳川家康や毛利元就は長寿で、非常に健康に気を使っていました。

そんな後手有利の戦略を実行しうる可能性を秘めていた政宗が、あえてそうしなかったのは、日本の安定を考慮した部分があったのではないでしょうか。

政宗は秀吉の中国侵攻も九州で支援しています。

朝鮮での戦いの影響は明には甚大で、内紛も手伝って国力が一気に衰え、のちに清をたてる女真族に徐々に国をむしばまれていき、1644年に明は滅びます。

またヨーロッパに使節を送ったり、家康のキリシタンへの政策をみながら、当時の欧米の植民地支配の情報も得ていたでしょう。

もしかすると、政宗は自らの野望のために内戦を引き起こすよりも、徳川家を支えて日本を国を強くすることに切り替えたのかもしれません。

もちろんこの政宗の話は私個人の推測に過ぎません。

しかし戦国時代は世界に目を向ければ「超グローバル弱肉強食時代」です。

スペイン、ポルトガルのカトリック勢力、そしてイギリス、オランダなどのプロテスタント(反カトリック)勢力が世界を植民地にするべく覇権を競っていました。

大陸の中国では強大であった明が内乱や豊臣秀吉の侵攻により弱体化し、遊牧騎馬民族である女真族(満州族)が漢民族王朝の明を滅ぼし、清を建国する激動の時代でもあります。

弱みを見せればすぐに強国の餌食になることは、当時の日本の有力者であれば当然のように理解していたことは想像に難くありません。

戦後、アメリカの軍事力に頼りながら、憲法9条で平和を守れると本気で信じている人たちが少なからず日本にいます。

北朝鮮のミサイルが国の上を通過しても、日本国民が人権を踏みにじられ拉致をされていても、何もできない無様な今の日本が「平和」だというのは私には全く納得がいきません。

自分たちだけが痛い目に会わなければ「平和」なのでしょうか?

それでは平安貴族となにも変わりません。

戦後の平安貴族化した日本人と違い、戦国時代を生きた政宗は誰よりもリアリストだったと思います。

加えて、一個人の野望で日本を亡ぼすきっかけをつくるような器の小さな人間ではなかったと思います。

もちろん、世界情勢抜きで、ただひとりの戦国大名としての腕試しであれば、チャレンジしたかった思いもあったかもしれません。

政宗の思いは私の想像です。

しかし、仙台の街づくりや殖産興業、文化振興をみていると、今も仙台の人々に慕われる理由がわかります。

そして、世界に目を向け、同時に幕府でも重鎮としての役割を果たしています。

非常に大きなスケールで日本のことを考えていた人物ということには異論はないように思います。

1前田 2は島津で 3に伊達

もともと由緒ある伊達家の強さを戦国屈指の域まで引き上げたのは政宗ですが、そこで終わりでありません。

加藤清正や福島正則、本多正信・正純など、三代目までに没落していく有力大名が少なくない中で伊達家は大きな勢力を誇ります。

では江戸時代初期の石高ランキングをみてみましょう。

江戸の徳川を除く大名では、一位は加賀百万石の前田家、次に70万石の薩摩藩島津家、そして62万石の仙台藩伊達家が続きます。

そのあとが徳川の御三家である尾張と紀州なので、そのすごさがうかがえるというものです。

天下人である織田と豊臣に仕えた前田利家をはじめとする前田家は、強大な一向宗(現在の呼び名は浄土真宗)の勢力を懐柔し、太平の世になっても殖産興業に勢力を注ぎます。

そして徳川家の警戒と監視を3代にわたって巧妙にかわし、100万石を維持します。

本拠地である現在の金沢は観光地としても、日本人、外国人ともにとても人気があります。

武家文化や伝統工芸を産業として支援した前田家の功績が随所に見ることができます。

加賀百万石とは武功としての100万石だけでなく、平時においての領国運営能力としての実力の証左ともいえるでしょう。

二位は、古来より「動きが早く精強」とのことで「隼人」と異名をとるほどの圧倒的な戦闘力を知られた薩摩人を束ねる島津家です。

海外との貿易に利点をもち、戦国時代でもヨーロッパ、中国、東南アジアとの貿易で利益をあげていました。

朝鮮出兵(秀吉の狙い自体は中国の制圧)では、島津義弘は「鬼島津」とよばれるほどの力を発揮します。

さらに関が原では撤退する際に、少数でありながら敵中突破を敢行し、追撃をかけた徳川四天王である井伊直政を狙撃し、のちに死に至るほどの痛手を与えています。

関が原の戦いの後も、島津家は家康からの出頭命令に従わず、徳川が武力での屈服を強いるなら戦いを選ぶという強気の姿勢を崩しません。

ついには討伐軍まで編成した家康が最後は折れて、島津は所領安堵となります。

家康が「島津を敵に回すと痛い目に会う」と思うほどに強大な勢力でした。

幕末でも薩英戦争を戦ったイギリスが薩摩人のゲリラ戦のセンスを称賛しています。

そして3位に御三家を押さえて伊達家がランクインしています。

政宗の一人の戦国大名としての力量もさることながら、伊達家の歴代当主による仙台城と城下町を中心とした仙台の発展も見逃せません。

仙台は古くは多賀国府という大和朝廷の地方行政府がおかれていましたし、明治になって東北帝国大学が置かれたことからも、東北地方における中心部です。

なんとなく金沢と似ていている部分があり、華やかでありながら質実剛健な武家文化は城下町や神社仏閣からもにじみ出ています。

実際に歩いて、地元の人たちと話をすると伊達家に対する敬意と感謝はすごく強いと感じます。このあたりも前田家と似ているのかもしれません。

戦国から江戸時代を通しての藩主や家臣の功績が、現代でもその都市の姿に大きく反映されていると日本中を旅していて強く感じます。

瑞鳳殿 Zuihoden

瑞鳳殿は「霊屋(おたまや)」とよばれる伊達家の代々当主の墓所になります。

英語では mausoleum といって「廟」のことを意味します。

「瑞」というのは「天からもたらせる吉兆」を意味し、帝国海軍では「瑞鶴」や「瑞龍」のよるに空母につけられる字でもありました。

この瑞鳳殿も戦争で焼失してしまいましたが、のちに復興しています。

個人的な感想ですが、日光東照宮やこの瑞鳳殿、同じく伊達家により復興した大崎八幡宮は黒をベースに青や緑が目立つように装飾してあります。

この装飾は京都、関西を中心に西日本では赤がベースのものが多く、なかなか目にしないので、仙台にくるとすごく新鮮に感じます。

関西もとより西日本の方には珍しいと思うので、ぜひ仙台まで足を運んでみてください。

また私の知る中では唯一、京都、嵯峨にある清凉寺さんの本堂の中に黒地に青や緑の装飾をされた逗子があります。

こちらは徳川五代将軍綱吉の生母である桂昌院により寄進されているので、戦国~江戸期の武家様式なのも納得できます。

現地でお話を聞かせていただいた瑞鳳殿のガイドさんに、現在も受け継がれる伊達家の大名行列の写真を見せてもらいました。

ここで紹介できないのが残念ですが、現代の当主である伊達さんのまわりに、片倉さんや白石さんがおられると思うと壮観です。

ちなみに、すぐ近くにある瑞鳳寺の御朱印は伊達家現当主の伊達さんにより書かれているそうです(今は違うかもしれません)。

仙台城 & 瑞鳳殿に関連する英語表現

初代仙台藩主:the first feudal lord of the Sendai Domain

瑞宝殿の資料では「Sendai Clan」となっていました。「藩」にはいろんな英訳があります。

本丸:main compound

compound は「複合施設、化合物」などを意味します。「本丸」の英訳は baileycitadel もよく見ます。

  • 二の丸:second compound
  • 三の丸:third compound
石垣:stone wall
土塀(どべい):earthen wall
櫓(やぐら):watchtower

「矢を射かける台座」という意味で turret(銃座)の訳も目にします。

水堀(みずぼり):moat

水が張ってあるのが通常です。

堀切(ほりきり):trench

trench は細長く、浅めの溝のことで「塹壕」を意味します。

「堀切」とは山の斜面を横移動できないようにするために掘ってある溝のことです。

土塁(どるい):bank

川などの土手、堤などを river bank といいます。

切通(きりとおし):sunken road

「山・丘などを切り開いて通した道」のことで、鎌倉に出入りする道でよく見られます。

天然の要害:natural defense

「天然の要塞」の意味で natural fortress の英訳もみたことがあります。

大広間:large hall
縁側:porch

英語だと「玄関の前から外に張り出した屋根のある通路や部屋」ことです。

能舞台:Noh stage

「能」を表すときは、ほとんどといっていいほど Noh などと表現されています。

そのままだと No stage(無舞台)になってしまいます。 

屏風:folding screen
床の間:alcove

al はアラビア語の定冠詞(the)で「凹」という意味のアラビア語が語源です。

鎮台(ちんだい):garrison

鎮台とは明治時代の軍隊の駐屯所です。ゲルマン語からフランス語に入った garrison は「要塞」を意味する英単語です。

涅槃門(ねはんもん):Nirvana gate

涅槃は「あらゆる煩悩から解放された状態」のことです。もともとサンスクリット語なので英語でも nirvana で通じます。

獅子頭(ししがしら):lion head
竜頭(りゅうず):dragon head
瓦(かわら):roof tile
副葬品(ふくそうひん):burial artifact

bury が「埋める」という動詞なので burial で「埋葬」です。

インドの一部で行われている「鳥葬」は sky burial といいます。

鳥葬 - Wikipedia
武具(ぶぐ):suit of armor
新田開発をする:develop new rice paddies.

rice paddy で「稲を育てる田んぼ」を意味します。paddy の語源はマレー語です。

治水(ちすい):flood control

flood だけだと「洪水」の意味です。

お香:incense
参道(さんどう):approach

お寺の参道は temple approach となっているのをよく見ます。

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