英語で日本を学ぼう No.032 備中松山城&頼久寺・岡山

備中松山城 Bitchu Matsuyama Caslte

 

生徒さんたちと岡山県高梁(たかはし)市にある備中松山城に行ってまいりました。

 

備中松山城は別名、高梁城とも呼ばれ、日本三大山城の一つになっています。

 

このお城は、臥牛山という山の頂上に築かれているので、時期が良ければ、雲海にうかぶ城郭がみられるようです。

 

 

城郭構造も非常に堅固で難攻不落(impregnable)の城といえます。

  

それゆえ歴史的には毛利家にとって要の地であり、そして江戸時代には徳川にとって毛利を抑える重要な拠点となりました。

 

 

そんな近世まで重要な拠点であった備中松山城のある備中松山藩は、日本史における2人の偉人と縁のある土地でもあります。

 

まず1人目は小堀遠州という人物です。

 

 

 

名作庭家・小堀遠州 Enshu Kobori the Notable Garden Designer

 

小堀遠州は大名でありながら作庭家、茶人や書家として有名な人物です。

 

豊臣秀吉の弟である秀長の家臣であったため、千利休、古田織部らとも親交があったようです。

 

そして秀吉の死後、徳川家に仕え、江戸時代になったのち、小堀遠州が備中松山藩の2代目として国政を司るようになります。

 

 

その小堀遠州の初期の作品として有名なのが、備中松山城の城下町にある頼久寺さんのお庭です。

 

 

 

頼久寺 Raikyu-ji Temple

 

頼久寺さんは正式な名称は安国頼久寺といいます。

 

 ですが、もともとは安国寺という名前でした。

 

 

この「安国寺」というのは足利尊氏が南北朝時代に戦争犠牲者の慰霊のために全国にたてたお寺のことです。

 

聖武天皇による国分寺・国分尼寺と同じく、日本全土で人々を救うという意図があったのでしょう。

 

その後、城主であった上野頼久にちなんで安国頼久寺となりました。

 

 

 

お庭そのものは決して、大きくないお庭ですが、蓬莱式という道教(Taoism)の影響をうけた様式で作られています。

 

不老不死(immortal)の仙人が住むのが蓬莱山です。

 

草木や砂で大海原に浮かぶ蓬莱山を表し、さらに鶴や亀など縁起の良いものをテーマに配置されています。

 

戦国期から日本は西洋の大きな影響も受けておりましたが、やはり中国文化の影響は大きいですね。

 

 

ちなみに頼久寺さん以外では、小堀遠州作庭で有名なものは南禅寺さんのお庭や二条城の二の丸庭園でしょうか。

 

 

さてそれでは、備中松山城に関わるもう一人の偉人ですが、山田方谷という人物です。

 

 

 

備中聖人・山田方谷 Hokoku Yamada the Great Man of Bitchu

 

 

山田方谷は幕末~明治期に活躍した備中松山藩の出身で、大赤字だった藩の財政改革、身分を問わない教育改革、近代的な軍政改革等を成功させた人物です。

 

山田方谷がつよく信じていたのが、正しいことと間違っていることを区別する判断力を鍛え、そして学んだ知識を実践を通して真の知識とすることをめざした陽明学です。

 

なかでも至誠惻怛(しせいそくだつ)といって「真心と慈悲の心」を大切にしていました。

 

 

 

また方谷の財政再建の基本となったのが、理財論という経済論です。

 

その本質は「義を明らかにして、利を計らず」という言葉に現れています。

 

 

これは中国・前漢の時代の董仲舒(とうちゅうじょ Dong Zhongshu )の言葉で、全文だと「君子は其の義(実際は「誼」の字)を正して其の利を計らず、其の道を明らかにして其の功を謀らず」となります。

 

ざっくりとした意味としては「人の道に沿った正しい行いをしていれば、自然と結果はついてくる」という感じでよいと思います。

 

 

 

学問の神様として知られる菅原道真も同じようなことを言っています。

 

心だに 誠の道に かなひなば いのらずとても 神やまもらむ

 

 

私は、縁あって日本人に生まれた日本語ネイティブですので、時代が変わろうともこういった言葉を胸に生き抜いていきたいものです。

 

 

 

優秀な人物を選抜するのに、身分などにこだわっていられない

 

山田方谷は教育者としても非常な人物で、下級武士や農民でも学べるように学問所を設置しています。

 

そしてその中から優秀者を藩士に取り立てる政策も実施しています。

 

また当時としては画期的な、女子に対する教育も男子と同じように行っています。

 

 

松下村塾に代表される幕末の私塾や、お隣の岡山藩の閑谷学校も身分にかかわらずに学べる場所です。

 

 

幕末・明治の爆発力は身分制度が確立したといわれている江戸時代にありながら、身分を問わずあらゆる階層で実学や思想を共有していたからこそ可能でした。

 

 

そもそも身分で優秀かどうかなどにこだわっていると、本当に逆境を乗り越えるのに必要な人材は確保できません

 

金持ちのボンボンやエリート気取り達が、いつも世の中を変えてくれるなら、誰も苦労しません。

 

 

歴史上の事実として、民衆が貧困にあえいでいる事実を知らされたあるフランスのお姫様は「パンがなければケーキを食べればいいでしょう?」と答えたといわれています。

 

そして結局、贅沢三昧をやめることはせず、最終的に民衆から忌み嫌われ、ギロチンの刑になりました。

 

 

身分制にとらわれない教育自体は素晴らしいことです。

 

しかし、別の言い方をすれば、国が日本が危機に瀕しているのに、身分や社会階級にとらわれる近視眼的な人々が活躍できるわけはありません。

 

時代の危機に際して、その場になって慌ててもうまくいかないでしょう。

 

普段から、平和な日常がつづく時代から逆境を生き抜く人間を育てる教育をしている文明・社会こそ、いざ危機に際しても乗り切れるのだと思います。

 

 

 

実践にこだわる学問にこそ価値がある

 

閉塞感の漂う現代の日本でも、低所得家庭への補助金や学費の援助など、所得にかかわらず学問を学ぶ機会を与えるという施作がとられています。

 

私自身、貧困家庭の子供たちへの教育ボランティアの経験もあり、そのこと自体は素晴らしいと思います。

 

 

ですが、そもそもいまの日本の学校、特に大学は苦労して入学するに値する場所でしょうか?

 

サラリーマンにしかなることのできない人間を大量生産する前提で作られている教育システムに未来の日本を託す意味があるでしょうか?

 

社会問題をテーマにしたプレゼンやディスカッションなど学校の中だけでどれだけやっても、何も現実は変わりません。

 

社会を変えようとする言葉は立派だけど、学生が企業に就職するアピール材料にしかなっていないようなNPO活動がそこら中にころがっているのが悲しい現実ではないでしょうか?

 

 

 

陽明学あってこその明治維新

 

やはり幕末・明治の推進力は実践を通してこその知識を重視した陽明学の思想そのものにあると思います。

 

尊皇派の吉田松陰、佐幕派の山田方谷は立場は違えど、実践を重んじる陽明学を中心に据えていました。

 

日本は一時期、勤皇・佐幕と大きく二つにわれて争ったものの、明治になれば「オールジャパンで日本を西洋列強から守り抜く」という気概は強く満ちていたようにみえます。

 

新生日本が生まれた以上、当時の偉人たちにあったのは文字通り No Side の精神ではないでしょうか。

 

 

函館の五稜郭まで戦った榎本武揚や大鳥圭介も、彼らの能力を評価した薩摩藩の黒田清隆が「なんとか新政府で能力を活かしてほしい」と尽力し、結果として新政府の重役を務めています。

 

もちろん、佐幕派だった山田方谷にも新政府から何度も執拗に明治政府での重責を担うように打診があります。

 

しかし、山田方谷はその申し出を全て断り、ちいさな私塾をひらき教育に専念した晩年を送ります。

      

その理由は、簡潔に言うと藩主に筋を通したためと言われています。

 

山田方谷は藩主が徳川幕府の重臣であったため、いったんはこの難攻不落の備中松山城に籠城します。

 

ですが、領民の生活や命を最重要に考え藩主である板倉勝静を隠居させることを朝廷に約束し、開城します。

 

領民を戦いに巻き込まないことを選択したことで、藩主への忠義をたがえる形になってしまいました。

 

 

幕末・明治に行われたのは、自己権益の拡張を目的とした暴力主義者による内戦ではありません

 

誰にもどんな日本の未来のカタチが正しいのかわからず、結論を決めるため争ったのだと思います。

 

きっと、みんなそれぞれの正義があったのでしょう。

 

 

実際に、その後の明治政府は勤皇・佐幕関係なく有能な人材を登用していきます

 

なにがなんでも高い結果を出す必要がある。ゼロから風雪に耐えうるものを作り上げる。

 

目標が具体的であればあるほど、軽々しく口から出てくるだけのものにこだわっていられなくなります。

 

 

 

今の日本の教育に絶望的に足りないのはスキルでもアイデアでもテクノロジーでもないのではないでしょうか?

 

幕末・明治にあって今の日本にないものは、人々を慈しむ心を軸に据え、実践に徹底的にこだわる陽明学ではないでしょうか。

 

 

その陽明学の体現者である吉田松陰と山田方谷が偉大な教育者として日本の歴史において今も輝きを放っていることは、日本人として魂に刻み込むべき事実ととらえています。

 

 

 

備中松山城 英語版・日本語版のパンフレット

頼久寺 英語版・日本語版のパンフレット

山田方谷記念館 英語版・日本語版のパンフレット

備中松山城 / 頼久寺 / 山田方谷記念館 英訳と和訳の説明・解説

天守閣: donjon

 

donjon はフランス語です。

 

 

城跡: ruins of the castle

 

 

砦: fort (fortress)

 

同じ砦でも fort よりも fortress のほうがより大きな規模のようです。

 

 

櫓: turret

 

 

土塀: mud walls

 

 

城下町: castle town

 

 

城主: feudal lord

 

feud は主君などから与えられる封土(領地)のことです。封建制度において使われる言葉です。

 

 

国奉行: officer of the Tokugawa Shogunate

 

これも徳川の幕藩体制の中で使われる言葉です。

 

 

廃城令: the order to abolish castles

 

 

記念館: memorial museum

 

 

神童: wonder boy

 

 

伝習録: analect of Wang Yang Ming

 

王陽明の著書のことです。ちなみに「論語」は Analects of Confucius です。プラトンの「対話」もそうですが、昔の偉人は「会話形式」で考え方をつづったものが多いです。

 

 

藩校: Feud school

 

clan school といういい方もあります。「藩」の英訳はあまり固定されていないようです。

 

 

茶道: tea ceremony

 

 

やってはいけない翻訳例

 

 

儒学: Confucianism

 

 

朱子学: doctrines of Chutzu

 

 

陽明学: Yomei-gaku (the teaching of Wang Yang-Ming)

 

 

 

この3つの英訳がひとつのパンフレットに掲載されていました。

 

申し訳ないですが日本でよくみかける悪い翻訳の例です。

 

 

儒学はラテン語表記(英語になっているのでOK)、朱子学は中国音、なんと陽明学に至っては日本語です。 

 

どれもこれも中国の思想で儒学に関係しているのに、相関性が全くつかめません。

 

 

王陽明を中国語で「wang yang ming」そして日本語で「おうようめい」と2通りの読み方があるとわかる人なら英語パンフレット自体そもそも必要としないとおもいます。

 

中身の説明も貧弱で、英語圏の人間に読んで理解してもらうことを考えていないのが伝わってきます。

 

文化圏が違う人間に対し、日本語そのままの英語で伝わるなら、グーグル翻訳でいいでしょうに。

 

こういう表層的な英語資料をみるにつけ「日本人は英語ができない」という問題の根深さを見た気がします。

 

 

あまり翻訳の質について批判はしたくないのですが、なんでも直訳で済むなら英語の勉強はいりません。

 

スマホさえあれば、その場で調べて事足ります。

 

英語教育、翻訳業務に関わる人間は、相手の目をしっかり見据えて英語を語る気概を常にもちながら英語を書くことが重要ではないでしょうか。