長谷寺 Hase-dera Temple
奈良県桜井市にある長谷寺へ行ってまいりました。
ここ長谷寺は西国三十三箇所の第八番霊場であり、徳道上人による巡礼の始まりの地とされています。
観音様は文字通り「音を観る」つまり「人々の助けを求める声を聞く」という仏さまです。
その観音様より徳道上人は「人々を救いなさい」といわれて巡礼を始めました。
長谷寺のご本尊はもちろん観音菩薩様で、木造としては日本最大の仏像になります。
拝見できる位置も足元までいくことができるので、見上げる形になり非常に大きく感じます。
秋の澄み切った空気の中で雨上がりの回廊(staircase corridor)をのぼっていくにつれ、すこしずつ心も澄んでいく感じが致します。
人間には108の煩悩があるとされ、その数の階段をこえて400で(死)を超えて本堂へ向かいます。
花の御寺 Sacred Temple of Flowers
長谷寺は「花の御寺 Sacred Temple of flowers」と呼ばれるほど花が美しいお寺です。
この時期は花はあいにくでしたが、ほぼ一年中、お花を楽しめるお寺です。
パンフレットの中に花の種類と季節の一覧が載っている花譜(はなふ flower album / florilegium)がありましたので、載せておきます。
英語と日本語は同じ順番で対応しているので、花の名前の英語の勉強になりますし、発想も興味深いです。
長谷寺で得に人気なのは「牡丹 ぼたん peony」や「紫陽花 あじさい hydrangea」ですね。
もう何度も訪れているお寺なのですが、何度来てもいいところです。
「奈良で一番のおススメのお寺は?」と聞かれると、私はいつも「長谷寺」と答えています。
長谷寺さんの御朱印 Temple Seal

こちらは長谷寺さんで以前いただいた御朱印です。
「〇〇33か所」のような観音さまの霊場では「大悲閣」や「大悲殿」という御朱印を頂けることが多いです。
「悲」のという字は観音様の慈悲のこころを意味し、閣もしくは殿は観音様のお堂の大きさによって変わってくるそうです。
またこの小さな「行」と書かれたものは「散華 さんげ」と呼ばれ、蓮の花びら一枚をあらわします。
蓮(lotus)は泥の中から美しい花を咲かせるため「苦しい世の中で人々を救う仏の教え」と考えられています。
法華経も「Lotus Sutra」と訳されています。
西国三十三か所の霊場をすべてめぐると観音経が完成するようになっています。
奈良・長谷寺 英語版・日本語版のパンフレット
奈良・長谷寺 英訳と和訳の説明・解説
長谷寺:Hase-dera / Hasedera Temple
鎌倉にも長谷寺はあります。奈良の方は大和国長谷寺です。
真言宗豊山派総本山:the Main temple of Buzan sect of Japanese Shingon Buddhism
長谷寺はもともと華厳宗⇒法相宗(ともに奈良仏教である南都六宗)のお寺でした。
秀吉による根来寺(新義真言宗総本山で高野山真言宗から分派)への焼き討ちから逃げてきた僧たちにより真言宗豊山派となったとのこと。
西国三十三所観音霊場第八番:the eight of the 33 Kansai Pilgrimage sites sacred to Kannon
「西国巡礼 Saigoku Pilgrimage」といういい方もよくあります。
ご本尊:Principal object of devotion
お寺によっていろんな表現がありますね。「main image」「chief object of worship」などもつかわれています。
観音:Kannon, the Buddhist God of Mercy
観音菩薩というと仏教の基本知識が必要なので、英語だけ表現するのは非常に難しくなります。
そもそもお釈迦さまや阿弥陀さまのような「如来」の場合は悟りを開いていらっしゃるので「Buddha」と呼ぶことができますし、英語でも Buddha は yoga や samurai なみに通じます。
しかし「菩薩」はあえて悟りを開かずに人々を救う方々なのでそうはいきません。
かといって「God」はどうしても「一神教の絶対神」のイメージが大きすぎます。あえてサンスクリット語(梵語)で「Bodhisattva」でいいような気がします。菩薩もボーディ・サットヴァの音訳ですしね。
十一面観音菩薩:Eleven-faced Kannon / Eleven-headed Kannon
「動詞+ed」は過去分詞といって形容詞のようにつかうというのは高校で習いますが、実は「名詞にも"ed"をつけて形容詞にする」という隠れ英語ルールがあります。
縁起:beginnings
英語だと簡単に表現できます。しかしそれでは「あらゆるものはそもそもつながっていて、ものごとはそのつながりにより起こる」という仏教の世界観が抜けてしまいます。
「縁側」というのも「世間様とご縁のある側」の意です。「lost in translation 翻訳により失われる」という表現は英語にもあるので、その一例でしょう。
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