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代名詞 I は特別扱い?英語が「自己中心的」な理由(英語うんちく No.015)

「日本人は自己主張が苦手・・・」

 

 

このようなことをよく耳にするような気がします。

 

英語教育でもプレゼンやスピーチの重要性が叫ばれているようです。

 

 

しかし自己主張とは、とりあえず自分の言い分を言えばいい、というものでもないと思います。

 

 

適切に自己主張するには、まず「自分中心の視点から物事を見る」ということが必要です。

 

これは決して「独善的にふるまう」ことではないですね。

 

 

 

英語は自己中心的にできている

 

英語は自己中心的 self-centered な言語です。

 

その理由は、特別な扱いを受けている英単語をみれば一目瞭然です。

 

 

ではさっそく、その特別扱い条件をみてみましょう。

 

 

1文字で意味を持つ

  

大文字になる

 

 

さてこれら2つを満たす単語を知っていますか?

 

 

ちなみに答えは一つしかありません。

 

 

それは「私は」という意味の「I」です。

 

 

ほかに1文字で意味を持つのは a があります。

 

しかし母音の名詞が続くと an になりますし、大文字ではありません

 

 

一方で「I」は文の先頭以外でも、いつも大文字です。

  

英語のもとになったラテン語やフランス語でさえ、そうはなっていません。

 

 

では、この「I」を特別扱いする英語がどんな特徴をもつことになるのか、推測していきます。

 

 

 

はじめに言葉(ロゴス)ありき

フェルディナン・ド・ソシュール / Ferdinand de Saussure
フェルディナン・ド・ソシュール / Ferdinand de Saussure

 

ソシュールというスイスの言語学者をご存知でしょうか?

 

 

ソシュール以前の時代では「物事を説明するために言葉がある」と考えられていました。

 

 

聖書にもこのように書いてあります。

 

初めに言葉(ロゴス)があった

 

 

ロゴスとは「論理・理性」などの意味をもつことばです。

 

キリスト教の影響のつよい欧米文化圏では「言葉で物事は説明できる」と考えます。

 

欧米圏の論理性の発展について興味のあるかたはこちらもごらんください。

 

英語はなぜ論理的な言葉なのか?(英語うんちく No.017)

 

 

 

しかし、そんな考え方をソシュールはひっくり返します。

 

 

言葉は各言語によって表現が違います。

 

 

「dog」「犬」「いぬ」・・・

 

 

言葉は違えども、言葉が示している実際の「犬」は同じです。

 

であれば、言葉は使う側が勝手に選んでいるだけになります。

 

 

 

シフィニアンとシフィニエ

 

そこでソシュールは「物事を示すもの(言葉)」と「言葉によって示されるもの(内容)」をこう表現しました。

 

 

「シフィニアン」

 

 物事を示す表現(文字・音声)

 

 

「シフィニエ」

 

 表現によって示される内容(実際の物事)

 

 

 

フランス語では「チョウ」も「ガ」もパピヨンです。

 

 

フランス語には「パピヨン」というシフィニアンしかありません。

 

なので「チョウ」も「ガ」も区別することができません。

 

英語や日本語では実際に区別することができることが、フランス語ではできないのです。

 

 

 

なぜ虹は7色か?

 

日本語では虹は「七色」ですが、3色や5色ととらえる言語もあるそうです。

 

それは虹が実際に7色なのではなくて「七色の虹」というシフィニアンを日本語がもっているというだけなんです。

 

 

また「虹」という言葉に「虫偏」がついているのは「空に住む想像上の生き物が虹をつくっている」と古代中国の人が考えたからです。

 

英語は rainbow ですから「雨が降った時にみえる弓」です。

 

フランス語は l'arc en ciel (the arc in the sky) ですから「空に架ける橋」です。

 

 

虹についてみてみても、「シフィニエ」は同じでも「シフィニアン」はたくさんあります

 

 

 

使う言語によって世界観が変わる

 

どんな言葉をつかうかにより見えてくるものが違ってくる

 

 

そのようにソシュールは考えました。

 

 

日本語をつかうと日本語的な発想になります。

 

英語をつかうと英語的な発想になります。

 

 

ある言葉が存在するからこそ「その言葉をつかって物事を考える・判断するようになる」ということです。

 

 

以前みたNHKの番組で、イタリア在住のガラス工芸作家さんの話がちょうどおなじようなものでした。

 

「イタリアにいることよりもなによりも日本語で考えること自分らしい作品作りに重要」

 

 

一字一句そのまま覚えているわけではないのですが、このようなお話だった思います。

 

この方はイタリア人に弟子入りし、師匠の娘さんと結婚し、イタリアに住んでいます。

 

それでも「デザインを日本語で考えることに意味がある」とアーティストの方がおっしゃっていたのは非常に衝撃だったのを覚えています。

 

あえて日本語をデザインの検討に使うことで、日本人らしい色を付けられるのでしょうか。

 

アートに関しては私はわかりませんが、言葉が自分の考え方や世界観を決めていくという点は、非常に納得がいきました。

 

翻訳文化があまりにもはびこっている日本の英語教育ではなかなか出会えない、言葉と世界観の密接なつながりを再確認できた貴重な体験でした。

 

 

 

英語のカタチがそもそも自分中心

 

英語の場合、いつも自分が中心の言葉をつかっていることになります。

 

 

近代まではキリスト教の影響が大きく「 God と I 」の関係が中心でした。

 

しかし、科学の発展でキリスト教の影響は衰退しています。 

 

そこで God が消えて「 I 」が中心的な視点として残りました。

 

 

英語をつかっていると「私は」という視点から物事をみるようになる」のは当然という気がします。

 

 

 

そのせいか英語の代名詞も「自分中心」の視点で考えないと理解できません

 

なぜそんなことになるのか詳しく知りたい方はこちら。

 

会話する感覚で代名詞を使いこなそう (英文法 No.004) 

 

 

特に、英語で会話するときは「I」の視点を意識するとよいと思います。

 

 

あるま・まーたでは英語の歴史や文化も重視して解説しています。

 

 

それはソシュールのいうように「シフィニエ」と「シフィニアン」が完全にリンクしていないので、「直訳」ではうまくいかないことがよくあるからです。