· 

英語のエンペラー (皇帝) とキング (王) の違い(英語うんちく No.011)

今回は英語の emperor と king の違いの解説します。

 

英語の皇帝(エンペラー)と王(キング)の違いの前に、中国の「皇帝」「王」「王者」「覇者」などの意味がわかっていると理解がスムーズです。

 

もし漢字の「皇帝」「王」の違いにピンと来ないかたはまずこちらをどうぞ。 

 

中国の「皇帝」「王」「国王」はどう違う

 

 

中国史もヨーロッパ史もよくご存じで、日本の天皇がなぜエンペラー(皇帝)となる理由が知りたい方はこちらをどうぞ。

 

天皇はなぜ英語でエンペラー(皇帝)なのか?

 

 

それではヨーロッパの皇帝と王について解説してまいります。

 

 

 

ヨーロッパ世界の「Emperor 皇帝」

 

それでは、まず最初にヨーロッパ世界における 皇帝 emperor の条件をあげます。

 

実は皇帝の条件は2つあり、どちらを満たしても「皇帝 emperor」と名乗ることができます。

 

 

① ローマ帝国の正統な支配者(ローマ帝国崩壊後は後継者)

 

② 自分の国だけでなく、他の国や領土も支配する統治者 

 

 

なぜこんな条件になったかというと emperor は時代によって意味が少しずつ変わっていったからです。

 

この変化は日本の「将軍(征夷大将軍)」とよく似ていて「異民族討伐軍団長」が「日本の政治権力のトップ」となっていった過程とよく似ています。

 

このような歴史の流れにくわえて中国の思想やキリスト教を参考にすると本当の姿がくっきりとうかびあがってきます。

 

 

 

ヨーロッパ世界の「king 王」

 

king の場合は、ある一国の支配者という意味です。

 

なかでも、特に「血統により継承される正当な支配者」を示します。

 

 

king の語源が kin 身内 と同じゲルマン語の由来の言葉であることからもうなずけます。

 

ちなみに英語で the next of kin というともっとも血縁関係で近い人という意味です。

 

 

king の女性形は queen ですが queen だけなら 女王 / 王妃 の両方の場合が考えられます。

 

 

詳しくいうと、統治権を持つ女王は queen regnant です。

 

統治権を持つ王と婚姻関係にある王妃は queen consort といいます。kingの場合も同様です。

 

 

 

他国を支配すれば帝国主義

 

ここまでだと emperor がボスで king が子分のような感じもします。

 

しかし、必ずしも king が統治するから kingdom 王国 で emperor が統治するから empire 帝国 と呼ばれているわけでもありません。

 

 

帝国 empire には「自分の国だけでなく他国も含めた支配する国」の意味も同時にあります。

 

ですので武力による植民地支配を進めたやり方のことを帝国主義 Imperialism と呼びます。

 

 

スペイン王やイングランド王がいるにもかかわらず、スペイン帝国 Spanish Empire や大英帝国 British Empire は帝国と呼ばれていました。

 

その理由は、海外に多くの植民地をもち、他国を支配下に置いたからです。

 

 

このように king や emperor は必ずしも「部下と上司」のような関係ではなくもっと複雑な関係性をもっています。

 

そうなっていった理由を詳しく見てまいります。

 

 

 

emperor のモデルはローマのカエサル

 

emperor(皇帝)、empire (帝国)や「帝国の~」を意味する形容詞 imperial の語源になったのは、ラテン語のインペラトル imperator という単語です。

 

このインペラトルは戦争に勝利した「凱旋将軍(がいせんしょうぐん)」に与えられる称号で、もともとは「ローマ共和国軍総司令官」の意味にすぎないものでした。

 

ローマ帝国になる以前のローマ共和国 Roman Republic では将軍は政治機関である元老院(senate)に戦いでの勝利を認められれば、自分の名前のあとに「インペラトル」をつけることがみとめられていました。

 

 

 

しかし数々の遠征を成功させローマを広大な領土をもつ国へと導くユリウス・カエサル(Julius Caesar)が広く支持を受け、強大な権力を握ります。

 

 

「インペラトル」を自分の名前として使った結果、それが「強い政治リーダーの称号」としてとらえられるようになります。

 

もちろん遠征によってローマの支配領域をどんどん広げていったので「強いリーダー = 他国を従える者」というイメージも生まれてきます。

 

 

カエサルを大叔父(great uncle)にもつアウグストゥス Augustus が「ローマの理想のリーダー」であるカエサルの後継者として、アウグストゥス自身も「インペラトル」と称します。

 

 

このアウグストゥスは「インペラトル」をローマの支配者だけがつかうことに限定し、それゆえ最初のローマ皇帝とされます。

 

そして、それ以降「インペラトル = ローマの正統な支配者 = ローマ皇帝 = 多くの国を従える支配者」として扱われるようになっていきます。

 

 

 

インペラトル ≒ 征夷大将軍

 

インペラトルと征夷大将軍はよく似ています。

 

征夷大将軍も「異民族討伐軍司令官」という意味でしかありませんでした。

 

 

しかし鎌倉~江戸時代にかけて「日本の実質的な支配者」へと変わっていきます。

 

足利家や徳川家が「源氏の後継者であり武家を統率するもの」として征夷大将軍を世襲の称号として受け継ぐことにもよく似ていますね。

 

 

 

emperor の力でローマはキリスト教国になる

 

さらに実は emperor はキリスト教との関連も強い言葉です。

 

古代ローマ帝国ではギリシャ神話のような多神教がもともと信仰されていました。

 

 

ローマは帝国の領土を拡大する中で、取り込んだ地域の人々が信仰する神を否定せず、逆に取り込むことで多くの人々を広大な支配地域のなかでまとめていました。

 

 

ときには強い国と戦うために、また別の国の人々を取り込むためにその人々の崇める神をローマでも崇拝することもありました。

 

ヒンドゥー教や神道のような多神教は多くの神々を他から取り込むことで大きくまとめ上げる力を持っています。

 

 

しかし、すでに存在していたローマの信仰にはなかった「死後の救済」を打ち出したキリスト教がどんどん信者を増やしていました

 

日本に仏教が広がったのも、死後の世界について明確に示すわかりやすさがあったと考えられています。

 

 

しかし、日本では仏教が神道と混ざり合っていく(神仏習合)のに対し、キリスト教は一神教ですから絶対神 God のみを信じています。

 

それゆえキリスト教はローマの既存の宗教と共存することを認めなかったので、ローマでは迫害されることになります。 

 

 

迫害を受けながらも、ローマで苦しい生活をしている民衆を中心にキリスト教は信者を広げ、信者を迫害をすることが帝国運営を揺るがしかねないレベルになっていきました。

 

 

そこで迫害から一転して、313年に当時ローマ皇帝であったコンスタンティヌス大帝(Constantine the Great)が出したミラノ勅令(Edict of Milan)によりキリスト教がローマ帝国で公認されます。

 

一説にはコンスタンティヌス帝の母親ヘレナがキリスト教信者であり、幼少期より影響を受けていたからだったともいわれています。

 

 

 

皇帝はキリスト教会の保護者

 

キリスト教が公認された後、キリスト教はローマ帝国の国教(state church)となります。

 

それによりローマの一神教化が進み、キリスト教以外の信仰は禁止されるようになっていきます。

 

ローマ帝国がキリスト教の教えと一体の存在となった結果、ローマ皇帝は教会の守護者となり、さらに皇帝が教会のトップも兼ねるという形になっていきます。

 

 

 

1人のはずの emperor が2人

 

広大な領地を持つローマ帝国は、ひとりで統治するには大きすぎたため、コンスタンティヌス大帝の死後に2つに分けられます。 

 

もっとも、それ以前から広大な領地を分割統治することは行われており共同皇帝(co-emperor)や副皇帝(deputy emperor)のような役割はありましたが、あくまで一つの帝国の共同管理者という位置づけでした。

 

 

同じく広大な領域を支配下に置いたモンゴル帝国も、チンギス・ハーンの死後から月日がたち、フビライ即位の時点では、大きく5つに分かれています。

 

 

このような分裂は何度も繰り返され、テオドシウス帝(Theodosius)の死後、最終的にヨーロッパには西ローマ帝国(Western Roman Empire)そして東ローマ帝国(Eastern Roman Empire)と分割統治をされます。

 

そして、東西2つのローマ帝国がうまれたことで2人の皇帝が誕生することになります。

 

そして西ローマ帝国は476年に、東ローマ帝国(後世の通称ではビザンツ帝国 Byzantine Empire)は1453年に滅びます。

 

 

しかし世界史を見てみれば、この2つのローマ帝国が滅んだ後も帝国は存在し続けます

 

 

スペイン帝国や大英帝国は king の支配する国ですが、しっかりと emperor 皇帝 を君主とする帝国が存在し続けるのです。

 

それらは「ローマ帝国の後継者となる帝国」のことですが、そのまえにローマ帝国の後継者になる条件を見てまいりましょう。 

 

そのために少しキリスト教会の歴史に踏み込んでみます。

 

 

 

キリスト教会が帝国をつくる

 

キリスト教国となったローマ帝国では五本山(Pentarchy)といってローマ(イタリア)、コンスタンティノープル(トルコ)、エルサレム(イスラエル)、アンティオキア(シリア)、アレクサンドリア(エジプト)という5つの大きな教会(司教区 see)を中心に教会を管理していました。 

 

ローマ帝国が東ローマと西ローマに分かれた後も、帝国自体は依然一つのものとして首都コンスタンティノープルに居住する東ローマ皇帝がもっとも大きな権限を握っていました。

 

 

西ローマ帝国が476年にゲルマン人(Germans)の傭兵隊長オドアケルにより滅ぼされた後も、ローマ教会は存続し続けていました。

 

ちなみに傭兵隊長の「傭兵」はフォエデラデイといって、ローマ帝国が「同盟相手」として任命した異民族のことです。同盟という意味の英語 federation の語源でもあります。

 

 

中国でも節度使(せつどし)といって異民族を国境周辺の将軍として囲い込む目的で同盟を結んだりしていますから、帝国運営とは「敵にするぐらいなら取り込む」というものなのでしょう。

 

その中国も節度使の反乱により国が滅んでいます。有名なのは玄宗皇帝の唐を倒したソグド人である安禄山(あんろくざん)などでしょうか。

 

中国でもヨーロッパでも「同盟」と言ってもあくまで「懐柔策」にすぎず、スキを見せるとやられてしまいます。

 

 

さて、そんなヨーロッパが揺れている中でキリスト教社会全体を揺るがす新勢力であるイスラムが登場します。

 

イスラム教徒はもともと戦闘能力に優れた遊牧民を中心としており、イスラム教に改宗すれば民族が違っても差別をしないため、どんどん勢力を拡大し圧倒的なスピードでキリスト教圏に侵入してきました。

 

 

もともと五本山のあった地域のうち、ローマとコンスタンティノープル以外はイスラム勢力圏になってしまいますが、その残った2つの教会間でも少しずつ溝が生まれていきます。

 

ローマを拠点とするローマ教会は西ヨーロッパに順応していく一方で、コンスタンティノープル教会は皇帝の直接支配下にあり、さらにイスラム勢力と直接向き合わざるを得ない状態になっていました。

 

 

そんな中で、東西分裂を決定的にしたものはビザンツ帝国(Byzantine Empire 西ローマが滅んだあとの東ローマの後世の通称)皇帝の出した聖像禁止令(Iconoclasm)です。

 

 

聖像禁止令というのは、イエスやマリア、そして聖人たちの像や絵をつくってはならないというものです。

 

これはユダヤ・キリスト・イスラムで使用している経典の共通部分に「偶像崇拝の禁止」が記されています。

 

そうなると、本来なら聖像や聖人の絵はつくってはいけなくなってしまいます。

 

 

(偶像禁止の部分については 学校は教えない代名詞 thou thy thee thine を参照ください)

 

 

 

 

しかし、実際には布教をしたり、みんなで信仰の対象を決める上では、聖像があれば便利です。

 

 

なんでもそうですが、口だけで説明しようとするよりも、見た目のわかりやすさのほうが重要ですからね。

 

そういった「なあなあ」が許されていたなかで聖像禁止令が出された理由は、単純に言えばこうなります。

 

 

我々クリスチャンがムスリムにボコボコにされているのは、God の言いつけを守っていないからだ!」

 

「God に見放されないように、我々も偶像崇拝をやめなければならない!!!

 

 

これに対し、ローマ教会は西ヨーロッパに軸足を置き、ゲルマン人への布教に聖像を用いていましたから大反対します。

 

この聖像禁止令をめぐって折り合いは結局つかず、ローマ教会とコンスタンティノープル教会は決定的に分裂します。

 

 

 

神聖ローマ帝国の誕生

 

ローマ教会はそもそもビザンツ帝国の支配を快く思っていなかったのですが、教会単独では軍事力も財力も不足してしまいます。

 

そこでローマ教会は西側へと視点を向けて、フランク王国のシャルルマーニュを神聖ローマ皇帝として迎えて、自らの保護者とすることにします。

 

 

そしてフランク王国は神聖ローマ帝国となり、由緒正しい新たなローマ帝国としてヨーロッパに君臨することになります。

 

こうしてキリスト教会が自らの保護者として選んだものがローマ帝国の後継者である皇帝 emperor となる歴史が生まれます。 

 

 

 

Imperial Coronation of Charlemagne
Imperial Coronation of Charlemagne カール戴冠

この絵は、800年にフランク国王シャルルマーニュが神聖ローマ帝国の初代皇帝カール1世として戴冠を受けようとしているところを描いたものです。

 

この時、冠を被せようとしているのがローマ・カトリック教会のトップであるローマ教皇です。

 

 

一方、ビザンツ帝国の場合はコンスタンティノープル総大主教(Patriarch of Constantinople)がローマ教皇と同様に、ビザンツ皇帝へと戴冠します。

 

 


ローマ帝国はキリスト教会が作る

 

神聖ローマ帝国がうまれたことによりローマ・カトリック教会はあらたな後ろ盾を得ることになります。

 

西ローマ帝国の正統な後継者」としての神聖ローマ皇帝(Holy Roman Emperor)の称号はローマ・カトリック教会が授与する形式になっていきます。

 

 

そして、もう一方のコンスタンティノープル教会は東方正教会(Eastern Orthodox Church)と呼ばれるようになり、ビザンツ帝国との強い関係を維持していくことになります。 

 

そのビザンツ帝国も1453年にオスマン帝国(Ottoman Empire)の侵攻によって滅亡しますが、その後、東方正教会はロシアを後ろ盾としたことから、ロシア正教会となり、ロシア帝国が生まれます

 

 

このようにしてローマ・カトリック教会と東方正教会が、東西それぞれのローマ帝国の正当な後継者として認める形で「皇帝の権威」を保証することで、ヨーロッパに2つの「帝国」が存在することになります。

 

 

 

ヨーロッパに皇帝は3人

 

さらにヨーロッパの歴史では西の皇帝と東の皇帝の2人だけでは終りません。

 

1805年にヨーロッパで起こったアウステルリッツの戦い(Battle of Austerlitz)は「三帝会戦 Battle of the Three Emperors」とも呼ばれています。

 

 

なぜ「3人の皇帝による戦い」と呼ばれるかにはもちろん理由があります。

 

それはもちろん、当時のヨーロッパに「皇帝が3人いたから」にほかなりません。

 

ではその3人を見てみましょう。

 

 

 

フランス皇帝ナポレオン1 / French Emperor Napoleon I

 

 

★ コルシカ島出身の天才的軍人

 

★ 武力によって他国を支配した征服者であり、ナポレオンが自らを皇帝と称する

 

 


神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世 / Holy Roman Emperor Francis Ⅱ

 

 

★ 西ローマ帝国の正当な後継者

 

★ ローマ・カトリック教会の擁護者

 

 


ロシア皇帝アレクサンデル1世 / Russian Emperor Alexander I 

 

 

★ 東ローマ帝国の正当な後継者

 

★ ロシア正教会の擁護者

 

 


ナポレオンは「覇者」の皇帝

 

彼ら3人の皇帝による戦いということで「三帝会戦」です。

 

しかし中国の思想を当てはめてみると、すこし違う見方ができます。

 

 

フランス皇帝ナポレオン = 覇者

 

 

神聖ローマ皇帝 = 西の王者

 

 

ロシア皇帝 = 東の王者

 

 

3者とも称号は皇帝であるものの、中国の視点で見れば中身は違いますね。

 

 

ローマ帝国の後継者たる皇帝になるにはローマ・カトリック教会か東方正教会のどちらかに教会の保護者として認められなければなりません。

 

しかしナポレオンは武力で他国を支配し、ローマ帝国の後継者としては、教会から認められていない支配者です。

 

 

 

Coronation of Napoleon I ナポレオンの戴冠式
Coronation of Napoleon I ナポレオンの戴冠式

これはフランス皇帝ナポレオン一世としての戴冠式を描いた有名な絵画ですが、中央の人物がナポレオンです。

 

皇帝の証である冠を妻であるジョセフィーヌに被せようとしているようにみえますが、実際には自分で被ろうとしている姿とされています。

 

ヨーロッパ世界では皇帝はローマ帝国の後継者としてキリスト教会のトップから戴冠される必要があります。

 

ですがナポレオンは冠を自分でかぶろうとしています。

 

 


この行為は中国の価値観であれば「覇者」と呼ばれる行いになってしまうでしょう。

 

中国の場合は人民に慕われる「徳」が正統なる支配者の条件でしたが、ヨーロッパの場合は教会の支持が必要です。 

 

 

このようにヨーロッパの皇帝 emperor には3パターン存在しますが、それぞれ同じではなく中国の価値観から見れば「西の王者」「東の王者」「覇者」になります。

 

 

英語の和訳だけではよくわからない言葉も歴史に学んでみるとまた違った見方ができます。

 

特に東洋史・西洋史・日本史で3つの大きな文明の流れを知っていると比較しやすいのでおススメです。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    宮本智 (日曜日, 20 10月 2019 14:03)

    ヨーロッパ史とロシア史を勉強しているので、とても参考になる情報で、かつ本当に面白いないようでした。ありがとうございます。もし可能であれば2点教えていただけないでしょうか? 1)フランスのブルボン王朝はKINGだと思うので、KINGであるということは 教会からの戴冠や権威付けはなくまったく独立して存在していたのでしょうか? 2)ナポレオンはEmpererなので教会から権威付けされた存在であるとおもうのですが、自分でそれを被ったということでも教会からの権威付けになるということなのでしょうか?

  • #2

    あるま・まーた (水曜日, 23 10月 2019 14:21)

    宮本智さん

    コメント頂きありがとうございます。
    歴史を学んでいる方のお役に立てて光栄です。

    ただ、私はちいさな英語塾の先生でして、歴史学の学位もなくしかるべき研究機関など属している人間ではないので、自分で書籍やネットで調べ上げられるだけの範囲でお答えしようと思います。

    私の回答は、主に以下の内容を参照しお答えします。
    残念ながら下記リンクには日本語リソースがないですし、その他のリサーチもすべて英語で行っています。
    英語そのものに関するものでもよいので、もし内容不明点あればご質問ください、私の力の及ぶ範囲にて答えいたします。


    Coronation of the French monarch

    https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation_of_the_French_monarch


    Coronation of Napoleon I

    https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation_of_Napoleon_I


    1)フランスのブルボン王朝はKINGだと思うので、KINGであるということは
    教会からの戴冠や権威付けはなくまったく独立して存在していたのでしょうか? 


    神聖ローマ帝国とは中国のような中央集権的国家ではなく、有力諸侯の治める王国、公国や教会領地など様々なものの集合体でした。
    神聖ローマ皇帝の地位は、カトリック守護者として第一位という意味で、唯一無二という意味ではありません。
    フランス王は教会から独立するどころか、教会によって戴冠を受けていました。

    ただ戴冠を受ける際の「称号」が「神聖ローマ皇帝(NO.1)」なのか「フランス王(No.2)」なのかの差があります。
    戴冠と一言にいっても、「その冠が誰の称号になるのか?」は非常に重要です。
    日本の天皇家でいうところの三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)のようなものだと思います。

    また、ちょっと話がずれますが、政治的に言ってもフランスはカトリックと非常に結びつきが強いです。
    アビニョン教皇庁(Avignon Papacy)といって、ローマカトリックと真っ向から対立した時もありました。
    日本でいうところの南北朝時代のようなもので、教皇も双方に存在していたほどです。

    また日本でも有名な「三銃士(the Musketeers)」には悪役としてリシュリュー枢機卿(Cardinal Richelieu)が登場します。
    彼は実在の人物で、枢機卿であると同時に、ブルボン家のルイ13世の宰相(chief minister)として権勢をふるいました。

    ただ現在のフランスは政教分離の原則がアメリカよりもかなり強く浸透していて、
    私が個人的に日本で出会ってきたフランス人に対する感覚だと「atheist」の割合やそれを堂々と主張する人も他のキリスト教国よりも多い印象を受けます。
    同時に神道・仏教などの日本の信仰に対する興味や教養も高い気がします。
    もしフランス人に親しくなる機会があったらキリスト教について聞いてみるとよいと思います。
    比較的客観的な視点からのキリスト教について話を聞けるかもしれません。


    2)ナポレオンはEmpererなので教会から権威付けされた存在であるとおもうのですが、
    自分でそれを被ったということでも教会からの権威付けになるということなのでしょうか?


    これはおっしゃる通りだと思います。
    実際にナポレオンが被った冠はナポレオンが用意したもので、神聖ローマ皇帝の冠とは別物です。
    ナポレオンはあくまでも「実力行使」によって教会を従えて「皇帝」になろうとしました。

    ナポレオンの戴冠式では当然、教皇も参加し、冠に対して儀式を行い神聖なものとしました。
    しかし、それを最後に被ったのはナポレオン自身のようです。
    これはおそらく「教会ではなくこの私自身、ナポレオン・ボナパルトが皇帝であることを決めるのだ」という姿勢からだと思います。

    日本でいうと足利義満が「日本国王」の称号を賜った儀礼の様子とよく似ています。
    明は自分の支配下の国としか貿易を認めていませんでした。
    この時期の室町幕府は独自の財務基盤が弱く、貿易での経済力の強化を狙っていました。
    そのためには、足利義満は「日本国王」の称号を得るため、明の皇帝の臣下になる必要がありました。

    本来であれば、明の使者が相手の「国王」へ向かって、ざっくりいうと「皇帝の家臣にしてやろう!」と皇帝からの親書を述べるのが通常でした。
    しかし、この親書を義満は使者を無視して、自分で読み上げます。
    これは周りから見れば、義満自身に権力があることを周知することになります。
    同時に、日本国王といっても明にこびへつらうためのものではないことをアピールできます。

    ナポレオンに話を戻すと、彼の戴冠式から受ける印象としては、「教会からの権威付けもあり、教会を従えている」ように見えるはずです。
    そのくらいの政治力や演出力は当然、考え抜いてのことでしょう。
    武力による成り上がりだからこそ、貴族ですらないからこそ、このような権威付けがより一層必要だったはずです。

    I am sometimes a fox and sometimes a lion.
    The whole secret of government lies in knowing when to be the one or the other.

    これはナポレオンの言葉ですが、なるほどと思わせてくれます。