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「日本人は無宗教」が誤解を招く!?(英語うんちく No.008)

「きみはどんな宗教を信じているか?」とは海外に行く日本人がよく聞かれる質問です。

 

そして「日本人は無宗教」という表現はその答えとしてよく聞きますが、非常に危険な誤解を生みかねない表現です。

 

 

無宗教は「ある宗教を特別視していない」という日本人の発想にうまくあっているようにみえます。

 

ですが、英語に直訳した場合、ここに落とし穴があります。

 

 

 

無宗教・無神論だからゆるいとは限らない

 

まず理解しておかないといけないのは「無宗教 non-religion / irreligion」と「無神論 atheism」は全く違うものだということです。

 

 

英語の「無神論 atheism」は「a-」で否定、「the-」で神、「-ism」で考え方、を表します。

 

それゆえ「無神論」となり「God が絶対に存在しないことを主張する思想」になります。

 

無神論者という人たちは「キリスト教の価値観を全否定した人たち」と考えるとわかりやすいでしょうか。

 

 

ここで論理がすこしゆがんでくるのですが、無神論というのは原理主義に近いものです。

 

あえていうと「キリスト教全否定の原理主義」になります。

 

 

 

一神教は絶対に正しいものを追い求める

 

キリスト教自体が「自分たちの信じるものだけが唯一正しい」という一神教です。

 

 

キリスト教では「聖書に書いてあることがすべて正しい」とされています。

 

ですが、科学の進歩などで実際の世界のことが聖書の中の記述と違うとわかってきます。

 

そうなると「聖書はウソのかたまりだ」「教会は大ウソつきだ」となりました。

 

 

科学絶対主義とも言える新たな「現代版一神教」が生まれたというわけです。

 

 

それゆえ無神論者(atheist)という言葉は、英語の文脈だと日本語と全く別の意味を持ちます。

 

墓石はただの石だ。そこに犬の糞を投げつけて何が悪い?だって、ただの石だろ?

 

 

こんなことを平然という人たちを「無神論者」と呼ぶのです。

 

 

おおざっぱな見方をすると英語圏は「一神教的な発想」つまり「絶対的に正しいもの以外はすべて間違っている」という共通認識がいまだに強い文化圏だということです。

 

 

別の言い方をすれば「なにが絶対的に正しいといえるのか?」を問う姿勢が歴史を貫くテーマの中心にある文化と言えます。

 

キリスト教や西洋哲学もそういう姿勢から発展してきたものなのですから。

 

 

こちらのブログでは、欧米圏で「絶対に正しいものを導くツール」として論理が発展してきた歴史的・宗教的な流れを解説しています。

 

英語はなぜ論理的な言葉なのか?(英語うんちく No.017) 

 

 

 

英語ネイティブも atheist と呼ばれたくない??

 

このように無神論とはキリスト教がはぐくんできた倫理観も含めてバッサリと切り捨てることを意味します。

 

さらに英語圏には熱心なキリスト教徒の方たちもいます。

 

子供たちや家族、世界の人々のために真剣に God に祈りを捧げている人々もたくさんいますし、私自身もそんな人たちに多く出会ってきました。

 

 

そんな環境では「God なんているわけないでしょう?」とは表立って言いにくいですし、それに自分自身も文化の土台を否定しにくいと思います。

 

一神教が苦手な日本人の私ですらアメリカ人に「キリスト教が大切にしてきた倫理観を科学的根拠がないという理由で否定してはいけない」と言い続けてきています。

 

 

そんな「クリスチャンか?それとも無神論者か?」のどちらでもない立場も存在します。

 

それを「不可知論 agnosticism」といって、形容詞で使う場合は「I am agnostic.」のように使います。

 

 

agnosticism とはギリシャ語では「a-」が否定の接頭語となり、「gnosis」がギリシャ語で「知識」という意味です。

 

 

この不可知論者は「(Godのような)本質的な存在については認識することは不可能だ」とする立場をとります。

 

つまり「God は存在するのか?しないのか?」の二元論ではなく「仮に存在するにしても認識できないので否定も肯定も議論しない」となります。

 

あえていうとグレーゾーン的な解釈かもしれませんが、グレーゾーンにこそ落としどころがあるというのは一神教ではなかなか認められにくいことではあります。

 

 

 

ちなみに agnosticism と並んで一見対義語にみえる Gnosticism(グノーシス主義) というものがありますが、全く別物です。

 

ここでは話がどんどんブレるので踏み込みませんが、世界観としてはとても面白く、非常に引き込まれるので、興味のある方は調べてみてください。

 

キーワードとしては「グノーシス」だけでなく「新プラトン主義 Neo-Platonism」と「キリスト教カタリ派」がよいと思います。

 

 

 

日本人の「無宗教」とは「絶対者が存在しない」では?

 

さて少し話がそれましたが、翻って日本には「絶対正しいものは何か?」を問い続けた思想はあるでしょうか?

 

 

仏教にしても、神道にしても「絶対者」はいませんよね?

 

仏教には「諸法無我」といって「絶対なものはなく、物事は他とのかかわりの中で成り立っている」という考えが根本にあります。

 

 

儒教には「天」といって「絶対者」に近い存在はあります。

 

ですが日本だけでなく中国にしても仏教や道教と折り合いをつけて存在していました。

 

 

そう考えると「絶対者ありの英語圏」「絶対者なしの日本」で、お互いの信仰・思想・宗教を知らずに話をするのはそもそも無理があるのです。

 

 

 

「信仰」が「倫理観」を決める?

  

それでは欧米人がよく「君はどんな宗教を信じているのか?」と尋ねる意図はなんでしょうか?

 

 

それは「君は人として生きる上で、どのような信念と倫理観を持って生きているのか?」とほぼ同じ意味であるといえます。

 

もっと簡単に言うと「君がどんな人間かよく知りたい」程度かもしれません。 

 

 

宗教が倫理感や世界観の中心軸と考える一神教文化圏では当然ともいえる発想です。

 

 

 

武士道 Bushido が書かれた理由

  

明治期の教育者である新渡戸稲造さんは「武士道 Bushido the Soul of Japan」という本を英語で著し、日本人の信念や倫理観について欧米に紹介した偉大な人物です。

  

この新渡戸さんは「武士道」の序文で M. de Laveleye というベルギー人と宗教について話していて、こんな質問を投げかけられたと書いています。

 

 

"Do you mean to say you have no religious instruction in your schools?" 

 

(日本人は学校で宗教に基づく指導をしないといっているのか?)

 

 

"How do you impart moral education?" 

 

(どうやって日本人は倫理教育を実施するのか?)

 

 

 

倫理観や世界観を尋ねる質問に対して、そのまま「日本人は無宗教です」と答えるとどう思われるでしょうか?

 

極端な話「人を殺してはいけない理由はわかりませんし、興味ないです」と答えることと同じになってしまいます。

 

 

これでは日本人の生き方や日本文明のあり方に対しても無責任な回答であると思います。

 

 だからこそ新渡戸稲造さんは「武士道」を書かれました。 

 

欧米人に「日本人の倫理観の中心は武士道」だと、わかりやすく伝えるために。

 

 

 

日本の宗教は「神道・仏教・儒教のミックス」

 

では、外国人に日本人の信仰・宗教について聞かれたらどう答えましょうか?

 

 

武士道の話をしておいて勝手ですが、個人的には「神道・仏教・儒教のミックスです」と答えるのが一番いいと思います。

 

 

なぜならその通りなのですから。

 

 

神道(Shintoism)と仏教(Buddhism)は明治までは一つのものとされていました。

  

また仏壇の位牌は儒教、つまり中国の祖先崇拝(ancestral worship)の風習です。

 

武士道禅の精神朱子学(Neo Confucianism)の忠義を基にしています。

 

風水(feng sui)方位学道教(Taoism)の考えを取り入れた陰陽道のものです。

 

山伏修験道山岳信仰(mountain worship)神道仏教の考えが混ざったものです。

 

 

 

多くの日本人のいう「無宗教」は「理由は分からずとも伝統文化や風習として、いろんなものにかかわることはあるが、なにかを特別視しているわけではない」という意味ではないでしょうか?

 

 

一方、西洋では「絶対者(God)とそれ以外の様々なものとの関係性」を導き、すべてを統合するために論理(ロジック)が発展しました。

 

そしてその論理性はキリスト教によって鍛え上げられてきた要素も大きいです。

 

欧米圏の論理性の発展に興味のある方はこちらをご覧ください。

 

英語はなぜ論理的な言葉なのか?(英語うんちく No.017)

 

 

お盆や初詣などの行事は宗教的な理由を詳しく知ることなしに、日本人は続けていますね?

 

「なんだかわからないけど続ける」というのは、これまた欧米人には理解しにくい考え方なのです。

 

 

でもこれも日本的に言うと、また違った発想でちゃんと理由が存在します。

 

 

仏教には「縁起」という考えがあります。

 

これは「明確な理由はわからないけど、前世からのご縁などでつながっていて今に至る」というものです。

 

日本家屋の「縁側」も「世間様とご縁のある側」がその名の理由です。

 

 

一方、キリスト教やイスラム教のような宗教は「God との契約、約束」という側面が存在します。

 

それゆえ欧米人は「自らの信仰を自分の選択」ととらえている感じがします。

 

しかし、日本人は「○○という理由で、私は~~だけを選択し、ほかを放棄します」のように必ずしも直接的な論理性だけで判断したり、ひとつに限定する考えもありません。

 

 

日本人は無宗教というよりも「いいとこどり」が好きな人たちだと思います。

 

だからお寺でお祓いしたり、神社でおみくじを引いたり、絵馬に願いをかいたりします。

 

  

また「自然を敬う」「命を大切にする」「礼儀を守る」など倫理観や世界観に関わることも神道・仏教・儒教がベースになっています。

 

 

こういうミックス的な信仰を「無宗教」の一言で終わらせるのはもったいないです。

 

 

日本の思想を細かく説明できることが今の日本人の姿を問い直すことにも、本当の日本を世界へ伝えることにもなるでしょう。

 

またこのブログも参考になるかと思います。

 

英語で「神社」が shrine 「お寺」が temple になる理由(英語うんちく No.018)

 

 

「日本人は無宗教」という表現はそのまま使えば欧米人との間に誤解を多く生むかもしれません。

 

しかし、一神教文化圏の人が理解できるように日本人の倫理観と世界観そのものを伝えるようにすれば、意義のあるテーマになると思います。

 

 

自動翻訳がどんどん進化する今、本当に人間同士が腹を割って語り合うべきはこのようなテーマになると思います。