
生徒さんからマルコ・ポーロという名前のフランスの紅茶をいただきました。
見るからにハイクオリティ感がでていますが、とてもおいしく、ほかの生徒さんたちにも大好評です。ありがとうございます。
マルコ・ポーロってどんな人?
マルコ・ポーロ Marco Polo はイタリア商人で、中国(モンゴル人の王朝である元)をはじめ、アジアの様子などを西洋に紹介した人物です。
マルコポーロの旅行体験をまとめた本は「東方見聞録」として知られていますが、英語では The Travels of Marco Polo というタイトルです。
ヨーロッパの隣はイスラム世界
実は、モンゴルの王朝である元 Yuan Dynasty が支配する時期に、ヨーロッパ人であるマルコポーロがアジアにやってきたのには大いに意味のある事でした。
そもそも、10世紀以降しばらくはイスラムが世界の中心でした。
この時代のことを「イスラム黄金期 Islamic Golden Age」と呼び、科学や数学、医学、天文学、哲学などあらゆる分野が発展しました。
日本の世界史は、欧米の世界史の丸パクリで教科書を作っているので「近現代」といえばルネサンスから始まります。
ですが、実は詳しく見るとルネサンスは、このイスラム黄金期の下地があってのことです。
最近の研究でわかってきているのは、コペルニクスに代表される学者もイスラム学者の引用で本を書いています。
ヨーロッパで1,2,3などのアラビア数字がつかわれるようになったのも、イスラム学者が発展させた数学がヨーロッパに流入し、ローマ数字よりも便利なものと分かったからです。
ちなみにヨーロッパにアラビア数字を導入したのはフィボナッチ数列で有名なレオナルド・フィボナッチです。
欧米人は嫌がるでしょうが、「近現代」はイスラム黄金期から日本では教えるべきです。
事実、英語にもたくさんアラビア語由来の言葉があります。
詳しくは「実はたくさん!アラビア語源の英単語」をご覧ください
そうしてこそ、我々がつかう数字がなぜ「アラビア数字 Arabic numerals」と呼ばれるのかも理解できるはずです。
イスラム敗北!勝者は何者?
さて、そんな世界最強のイスラムですが、そのイスラムを完膚なきまでに叩きのめす集団が現れたことで流れが変わります。
その集団というのが蒼き狼・チンギスハンに率いるモンゴル民族中心にできたモンゴル帝国(のちの元 Yuan)です。
彼らは「北方遊牧騎馬民族」と呼ばれていますが、馬と弓術を組み合わせた集団戦法を駆使し、圧倒的な戦闘力を持っています。
サラブレッド Thoroughbred はアラブ馬などを元に改良された品種ですが、イスラムの中心であったアラブ人も騎馬民族ではあったものの、さすがにモンゴルには敗れてしまいます。
一方、ヨーロッパといえば、当時の最先端の技術と高い戦闘力をもっていたイスラム勢力にぼっこぼこにやられつづけていました。
そんな中でモンゴルがイスラムを撃破し、ヨーロッパへ到達したことでヨーロッパは初めて強大なアジアを知ることになります。
当時のヨーロッパ人には「あのイスラムを破ったモンゴルってどんな連中なんだ?」という思いがあったようです。
マルコポーロもそんな思いで元までやってきたのでしょうか。
モンゴルが世界にアジアを知らしめる
ちなみにモンゴルはイスラムを破ったその勢いのままヨーロッパへやってきます。
そしてヨーロッパ(ドイツ・ポーランド連合軍)をコテンパンに粉砕したものの、後継者を選ぶための族長会議のためモンゴルに引き返しています。
この戦いは「ワールシュタットの戦い Battle of Wahlstatt」と呼ばれていますが、これがドイツ語で「死体の山」という意味です。
BBCのモンゴルがテーマのドキュメンタリー番組の中では、モンゴル軍が引き返す際のナレーションは「Europe was spared. ヨーロッパは命拾いしました。」でした。
このまま突き進んでいたら、本当に世界史が大きく変わっていたかもしれません。
ちなみに日中戦争で武力衝突のきっかけ(諸説あり)となる盧溝橋事件で有名な盧溝橋は、英語で Marco Polo Bridge という通称を持っています。
盧溝橋事件も Marco Polo Bridge Incident と英語で表記されます。
日本を黄金の国ジパングと紹介したのもマルコポーロです。
世界の歴史の中でヨーロッパとアジアつなぐきっかけとなった人物であることは間違いないでしょうね。
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